価格 : 1,890円(税込み)


在庫 : 2
発売 : 2008/11/05

水村 美苗
単行本
筑摩書房
レビュー
  • 正しくは「近代日本文学」が亡びるとき ... 2009/06/18

    ではないでしょうか、この本の主題は。けっして日本語を語っているのではない。なんとなれば、現代の日本語は、やはり1000年前の日本語とも異なるはずだし、おそらくその時代の人がタイムスリップしてきても会話にはならないでしょう。かように日本語は変化していくし、外来語も入ってきて入り混じり、また100年もすれば日本語と呼ばれる言語も、今のそれとはかなり異なった形になっているはず、でも「亡びる」わけではない。また、インターネットにより実は日本語に限らずあらゆる言語が生き延びる可能性を高めていると思われます。一方で、研究者などを除き確実に近代日本文学は読まれなくなっていくでしょう。テーマがあまりに過渡的であり、「カラマーゾフの兄弟」など永遠に読み継がれるであろう文学作品に比べて人間存在の核心に迫る迫力が欠けているのかもしれないし、時代の制約もあったのかもしれない。その辺は、文学者村上春樹さんあたりに本当は語って欲しいし、この本の作者には荷が重過ぎるのではないですか。公立の図書館で借りて読めば十分です、敢えて購入する価値はないと思います。
     
  • 日本語の将来を議論するのに一石を投じたかもしれないが... ... 2009/06/16

    本書は、小説作家の主観的な問題意識から書かれた、日本語の危機を
    訴えるためのエッセーです。問題提起の書です。

    客観的で緻密な論証はなされていませんし、学術的な論文ではありません。
    国語や日本語を考える上で、古典に成ることを意図した著作でも無いようです。
    ネガティブな評価ととられるかもしれませんが、これらの限定をレビューの
    前提とします。著者も概ね同意されるかと思います。

    日本語を取り巻く環境が変化しているにもかかわらず、日本が国として
    自国語の使用のあり方、教育の仕方を十分に検討していないように見えることや、
    著者が「普遍語」と形容する英語を学習する戦略的な位置づけがなされていない
    ことには一定の共感を覚えます。むしろ主張の内容としては、目新しいことでは
    ないと思います。
    それでも、日本語が亡びる恐れから、日本語を大事にしなければならない、
    英語の使える少数のエリートを養成せよ、というような本書最後半の論理の
    急展開には疑問が残ります。

    作者は、明治の開国時期に奮闘して国家の危機を救った福沢諭吉のような蘭学者
    に強い敬意を抱いていますが、明治の国家存亡の危機と、作者の語る日本語の
    危機をオーバーラップさせて認識されていることに、違和感を覚えます。
    しかも、日本語が亡びるというような予言者的な主張をし、自分を危機に
    立ち上がっている人間の一人として、勝手に位置づけるのですが、どこか勘違い
    していると思うのは私だけでしょうか。

    多くの読者を得て読まれているようですし、日本語の将来を議論するために一石
    を投じた価値は大きいと思いますが、主張の裏付けとして使われているのは、
    主に作者自身の経験です。それにジャーナリスティックな情報と大学1,2年生
    の教養課程程度の近現代史、近代言語史が加わります。底本として使用されている
    学術書レベルの本は、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』だけのようです。
    勿論、その他の書も数多く参照されていますが、議論の本質には関係がありません。
    これらの点から、比較的教養のある方で、本書から何かを学びたいと考えている方
    へはあまりおすすめできません。

    言語について考える環境に長年居たということは、その通りかもしれません。
    作家という立場は、言語について考えるために適しているかもしれません。
    しかし、作者とは遠い市井に居て、海外に一度も行ったことがない人、小説
    など殆ど読まない人も、日々の生活や仕事の中で日本語について考え、そし
    て、憂えているのではないでしょうか。


     
  • 表題が扇情的であるだけ。 ... 2009/06/09

    ・ 「英語は現代の普遍語である」ことと「近代日本文学には読むべき文章がある」ということはおそらく多くの人が感じていることであり、著者があらためて声高に主張することに何ら新味はない。

    ・ 「日本の国語教育は日本の近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである」という結論に至る論理展開に説得力がない。ほかの方々のレビューにもあるように牽強付会で情緒的である。著者が近代日本文学を愛していることは切に伝わってくるが・・・

    ・ 逆説的だが、本書を読むよりは一冊でも多くの近代日本文学を読むほうが著者の理想にかなうだろう。読まれるべきなのは近代日本文学の珠玉の名品であり、本書ではない。

    ・ 文章表現の技術的な問題だが、〈カッコつき〉の語句が非常に多く読みづらいことこの上ない。日本語の将来を憂える著者であればこそ、平明な表現で主張が的確に伝わるように工夫すべきだろう。

    ・ あと、「上から目線」が気になるのは僕だけかなー
     
  • 個人的には不毛な内容 ... 2009/05/05

    水村氏は日本語を大切にしたいというところから本書を書いたのだと思う。その趣旨には大きく賛同しながら、水村氏の視点や前提条件には頷けないところが多々ありました。

    小説家である水村氏をご存知の方が、どのような感想を持つのか分かりませんが、少なくとも初めて読む私にとっては、あまり良い評価を出せない一冊でした。

    著者にとって「日本語」が大切なものであることはよく分かりました。しかし、それと同時に日本語は文学界では価値のない言葉のようで、フランス語や英語のほうが素晴らしいと考えているように感じます。

    水村氏は日ごろから小説家として文章を書いている方なので、率直な気持ちを述べておられるに過ぎないでしょう。結論としては日本語が亡びるという危機感をもっており、日本語がなくなることに危機感を持っておられる。しかしながら、私には言葉遣いや用法が変わっても、日本語がなくなって日本人が英語を公用語として使うようになるとは到底思えません。

    言語文化はそれぞれの地域にとってかけがえのないものなのです。フランス語がそれほど素晴らしい言葉であれば、既に日本人はフランス語を話すようになっているでしょう。言語は自然発生したものではないという著者の意見ではありますが、これを前提にするから全体の主張がどうも歪なものに感じられるのも事実だろう。

    ただ単に、英語や仏語を話せることともどもご自身の身の上話をして満足したに過ぎないのではないかと感じた。故に最後まで読むことを断念しました。134ページ辺りで本を閉じました。これ以上読んでもこの本から何かを得ることが出来るとは到底思えませんでした。

     
  • レベルの低い”日本語擁護”アジテーション ... 2009/04/27

    一種の「日本特殊論」。なぜこの本があまたのアルファブロガーに絶賛されたのかがわからない。

    著者は「明治時代の日本文学がいかにすばらしかったか」ということを伝えんがためにこの一冊の本をものしているが「牽強付会」としかいえないロジックが目立つ。

    日本語は世界で唯一「表意文字+表音文字」が組み合わさってできあがったすばらしい言語なんだから、それを守り続けることが日本人の使命、というのは「ユニーク=すばらしい」という固定観念でしかない。そもそも全ての言語はユニークだ。

    また、「今の日本文学はロクでもない」とルル述べているが、あくまで彼女の印象論でしかない。少なくともどこがダメなのかくらいはちゃんと言って欲しい。

    「このままでは日本語が亡びる」といたずらに危機感をあおり、彼女の願望である「明治時代の日本文学を教育現場でもっと教えるようにしろ」と無理矢理結論づける。

    評価できるのは言語を<普遍語><国語><現地語><母語>と区分し、<書き言葉>と<話し言葉>が異なることがあたりまえだったこと、<二重言語者>によって<普遍語>から<現地語>に言葉が翻訳されることにより、<現地語>が<国語>として成立したことなどについては、言語学者からみたらかなり乱暴な議論ではあるけれど、シンプルで納得いく話として受け入れられる。

    また、日本語がここまで抽象的な概念を描写できるようになったのは、明治時代の学者・文豪たちが必死になって英語などから大量に翻訳し続けた成果であることについて、再確認させてくれる。その点は確かに彼らに強く感謝する必要がある。

    でもそれだけ。

    別のところでは「全国民がバイリンガルになる」ことを目指す教育を行うと、日本語(より正確には日本文学)が英語に淘汰されて亡びると言う。対応策として「エリートだけが完璧なバイリンガルになって、残りの大半の国民は日本語+ちょっとした英会話のみでOK」と提言する。いわばエリートに防波堤になってもらって日本語を守ろうというもの。

    それって単なるご都合主義だし、そもそも少数の完璧なバイリンガルを育てようと思ったら、多数にまず英語教育を施し、その中から優秀な人を選抜するしかない。「裾野を広げる」ことの大切さを全然わかっていない、机上の空論。

    英語の必要さは痛感しておきながら、日本語を鎖国状態にしておくことを金科玉条にすることからくる矛盾が露呈している。それほどまでに「日本語の変化」を恐れるというのは、どういう意味なのか全然わからない。

    言語は他の言語と混じり合い、変遷し、時に興り、時に亡びる。

    本書でも引用されていたベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」にならうと、「国家」が人工的であるように、「国語」も人工的なものだ。必要に応じて生まれるし、必要がなくなれば亡びてしまえばいい。(現実問題として「日本語が亡びる」とは全く思ってはいないけれど)

    本書で批判されていた坂口安吾の「日本文化私観」の一文に全面的に賛成する。

    「我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。」